update info and daily memo ク ラ フ ト マ ン シ ッ プ Dec. / 1999 |
12.1/1999 | ■ ファイナル・カウントダウン |
更新情報 |
◆トップページを変えてみました。一興。 |
▼唐突に思ったんですが、「キャラクタの見ためが人間の姿ではないギャルゲー」ってもうあるんでしょうか。人間でないといってもエイリアンとかいう意味ではもちろんなくて、「銀河鉄道の夜 the movie」の猫人間のようなものを想定しているわけですが、そういうのがもう存在してるとしたら、どんな評価を受けてるものなのか知りたいです。ギャルゲーは詳しくないので。
あるいは、まだ出てないとして話を進めますが、つまり、ギャルゲーというのは対象が「人間そのもの」ではなくても、機能的には問題ないんじゃないかと思います。そういうゲームがもしかして一定の評価を得たりすると、ギャルゲーというゲームがもう一回り展開するような気がしますよ。
12.3/1999 | ■ ナッシング・ゴナ・チェンジ |
更新情報 |
◆なんかカッコいいタイトルが浮かばなくて、結局浮かばないので立ち上げちゃった「#14 ビデオゲーム : 1999」をthink-routineに追加。 |
▼例によってBBS for L.C.A.への書き込みをこちらにも。文脈はBBSを参照ください。
あずみさんの言う「ゲーム性」というのは「ゲームに感じるおもしろさ」とは無関係ということになるんではないかと思います。情報理論が情報の価値とは無関係みたいなもんで。YU-NOを楽しめない人がいるからといってYU-NOのゲーム性が下がるわけではないですよね。
「ゲーム性」というのは「そのゲームにどれくらい意味があるか」を示唆するものである、と。ひらたくいえば「ゲームが深い/浅い」というやつかもしれません。
しかし、どうなんでしょうね、みんなむしろたとえば同じ「ゲーム性」なのに「おもしろい」ゲームと「おもしろくない」ゲームがあること、のほうに興味があるんじゃないでしょうか。もっといえばそっちのことを「ゲーム性」とか言って伝えたいんじゃないでしょうか。
数学的な「ゲーム性」と「そうでないもの」を分けることには意味があるのかもしれませんけど。
12.4/1999 | ■ タクシー・ファンク |
更新情報 |
◆「#14 ビデオゲーム : 1999」に#2 クレイジータクシーを追加。とりあえずこの二つを書くことは決めていたのですよ。 |
12.17/1999 | ■ ターミナル・ベロシティ |
更新情報 |
◆終〜了〜〜。 のべ17日間トップページを占拠したlcdキャンペーンがだらだらと終わりました。ええ別に変わりありませんけど。 今後も迷惑をカエリミない企画があるやもしれないのでevent handlerというコーナーを新設しました。 |
12.27/1999 | ■ インストゥルメンテーション |
▼せっかくクリスマスなんで最近プレイし終わったホワイトアルバムまでのleaf4作品について何か書いて更新しようと思ってたんですが、なんだかまとまらなかったのでなしになりました。またいずれ。
▼ひさびさにゲーセンを覗きましたら、サンバDEアミーゴやらウンジャマラミーNOW!なんかが入荷してました。で、あらためてゲーセンでラミーをプレイしてみて、やっぱり賛否はともかくビーマニシリーズとは違うゲームなんだなあと思いいたった次第ですよ。
あのアヤシイ入力判定は業務用でどうすんのかな、とか思ったんですが、やっぱりアヤシイまんまでした。
すごーく主観的な言いかたになりますが、ウンジャマラミーをプレイする僕は、ちゃんと「ゲームと音楽に奉仕している」気分になれます。僕がここで「奉仕する」という言いかたにどういう思い入れをこめているかというと、プレイヤーとしての僕がゲームと音楽に求めているところと、ゲームと音楽がプレイヤーとしての僕に求めているところがイコールで結ばれているというようなきわめて幸せな関係について、たとえば「奉仕する」という言いかたで説明しようとしているわけです。こういう(ウサンクサイ)言いかたは通用しないものだと思いますが、それでも言っておきたいのは、おうおうにしてカンチガイされがちなように、「ゲームが、プレイヤーにサービスする」ゲームがよいゲームなのではなく、「プレイヤーが、ゲームにサービスしたくなる」ゲームがよいゲームなのではないか、ということで、少なからず僕はウンジャマラミーについてそのようにプレイする、ということです。
ウンジャマラミーにおけるゲームというのは、間違いなく音楽のことであり、ウンジャマラミーにおける音楽というのは、やはり間違いなくゲームのことです。そしてプレイヤーとしての僕は音楽によってゲームに(つまり、ウンジャマラミーに)参加するのであり、あるいはプレイヤーとしての僕はゲームによって音楽に(つまり、ウンジャマラミーに)参加することになるのです。ともあれ「ゲーム」と「音楽」と「プレイ」が不可分であるのが、ウンジャマラミーという「ゲーム」なのだと、僕は思います。
そして一方、ともあれ「ゲーム」と「音楽」と「プレイ」がある意味機能的に分離されているのが、たとえばビートマニアなのだろうと思うのです。そこでは「ゲーム」へ、「音楽」へ、「プレイ」への思い入れはべつべつに発生させざるをえません。その結果、なぜこの「ゲーム」なのか、なぜこの「音楽」なのか、なぜこの「プレイ」なのか、が問われることになるのでしょう。最近は言われてないので蒸し返すこともないんですけど、かつてビートマニアへの貶し言葉として通用していた「単なるモグラ叩きじゃないか」という言いかたは、やはりかつてパラッパラッパーへの誉め言葉として通用していた「リズムに合わせてボタンを押すことがこんなに楽しいなんて!」という言いかたとほぼ同じことを説明していたという意味で正確だったと思うのです。そしてそれこそがパラッパラッパー(ウンジャマラミー)とビートマニアとの決定的な"違い"だった、ということでしょう。もちろんパラッパラッパーのやり方にはそれなりの限界があって、それが現在の市場での割合に表れているのだ、と考えることもできます。
ええと、例によってフロシキを畳むのがメンドウになりましたが、まあビートマニアのほうは進行形でコナミが圧倒的なスピードと利権をもって驀進させてる最中なのでなんとも言えなくて、むしろ気になるのは、広義のパラッパラッパーやウンジャマラミーみたいな「ゲーム」のゆくえでしょうか。われわれがパラッパラッパーに学べるのは、音楽ゲームは売れるとかそういうことではなく、パラッパラッパーでの「音楽」にあたる「別のモノ」を考えなければならない、ということのはずですから。
▼あ、あと、サンバDEアミーゴはまだプレイしてなんでよく分かんないです。
12.27/1999 | ■ アミーゴ! |
▼こちらにも一応書いておこう。明日12/30から5日間、つまり1/3まで、大学のネットワークがとまるんでdotimpactはご覧になれません。
ちなみに@niftyにあるサイトは開いてますけど多分更新なんかはしないことでしょう。
よいお年を。