update info and daily memo ク ラ フ ト マ ン シ ッ プ Apr. / 1999 |
4.5/1999 | ■ ポイゾナスウエーブ |
更新情報 |
◆新学期の試みとしてBBSを設置してみました。このサイトの感想やらあるいは別の適当な話題やら書いたり書かなかったりしてください。 |
▼今号の「ゲーム批評」は、立ち読みしてみたらなんだかトテモいい雑誌を手にしてるように思えて、珍しく購入してみたのですが、落ち着いて読んだらやっぱり普通の「ゲーム批評」でした。春です。
4.9/1999 | ■ インテリジェント・クォリティ |
▼「I.Q.が売れたのはソニーが定価を下げたのと広告のおかげであって佐藤雅彦には関係がない」ということらしいですが(噂の眞相)、「佐藤雅彦がゲームを作ること」も広告なんだからやっぱり佐藤雅彦のおかげだと言えるんじゃないでしょうか。
それはともかく、ゲーム業界外のひとが、あんな「ゲームとしか言いようがないもの」を作りたいと言ってきた例が他になかったんじゃあないかと思います。そもそもああいう「ゲームとしか言いようのないもの」のプレゼンテーションって可能なんでしょうかね。「テトリスの企画書があったら間違いなく採用されない」というような笑い話をどこかで聞きましたけど、そんなようなもので。
4.17/1999 | ■ スナッフビデオ |
▼ホラーに食指が動かない嗜好のせいというのもあるのですが、僕はバイオハザードシリーズを、いままでまったくプレイしたことがなかったのです。たいていは、積極的な興味がないゲームでも他人のプレイを観たりゲーム屋で体験版をプレイしたりでそれなりに知ることができるものですが、どういうわけかそのての接触もなし。こんなことなら僕は「実はバイオハザードがコワいから絶対にプレイさせないでくれ」とか古典的な呼び水を公言してまわったほうがよかったのかもしれません。
さて。最近研究室に持ち込まれたプレステについてきたソフトの中にバイオハザード ディレクターズカットを見つけた僕は、ここへきてようやくこのゲームをプレイする機会を得ます。他に誰もいない深夜の研究室で、部屋を暗くして備品の液晶プロジェクタを使ってプレイするバイオハザード、というのは聞くだに格別のものがあるので、珍しくも期待を弾ませながらセッティングをしてゲームをはじめます。そんな僕が最初に映画的に驚嘆したのは部屋を調べた時のこんなメッセージ。
なんだ、そういうゲームでしたか! なんというか長年求めててようやく観ることができた映画が実は深夜番組で観たことがあった、って気分だネ! 久しぶりに「クソゲーだ!」と叫ぶ権利を得た気がしたヨ!
いや、まったくもってイマサラな話題ですいませんが。ともかくまだ観ぬフィルムは果てしなく純化し神聖化する、という意味では僕のバイオハザードは優れて映画的だった、ということができます。
▼ところで、一般に映画とからめて語られるゲーム(とりあえずバイオハザード、ENEMY ZERO、メタルギア・ソリッド)をプレイすると、ゲームオーバーの処理で違和感を感じるところがあります。その演出がどうも(他の演出のように)スマートにいかない。つまり、それを「ゲーム」として終了させるのか、「映画」として終了させるのかというところに迷いやとまどいがあるんじゃないか、と思うんですね。
「ゲーム」の終了と「映画」の終了は、その望まれるかたちが異なります。「ゲーム」の終了は原則として瞬間的なものでなければならないとすれば、一方「映画」の終了は一種ためらいがちに行われるものであるはずです(それはつまり、自分の死はあっけなくあるべきなのに対して、他人の死は感動的であるのが望ましいとか、そういうことです)。では、「映画」のような「ゲーム」とか、「ゲーム」のような「映画」は、どのように終了させるべきなのか。それが確立されなければ、結果的にそれは単なる「ゲーム」だとか単なる「映画」だとしか言えないようにも思えます。
4.19/1999 | ■ アルファベータカット |
▼ゲーム屋の店頭で友人2名が森田の最強Reversiに挑戦しましたが、いずれもスコンクで負けてました。さすがグラフィックエンジンで思考してるだけあります。
4.20/1999 | ■ シミュレーショニスム |
▼久多良木氏のインタビューを読んでの極めて瑣末な感想は「この人の言うHTMLってなんだろう」というものでした。あとグランツーリスモ2はまだ発売されてません(それはアスキーが悪い)。
グランツーリスモ2発売中、というのは修正されてました。
▼話だけ聞いてるとまさしく(中野修一氏いわく)「おっさん、寝ぼけてんじゃねーよ」というものなんですけど、そういう短絡を絶縁するために(久多良木氏いわく) 「サラっと」CPUとGPUを提出する、というのが前代未聞。これが夢じゃないってことは寝言も現実に?
しかし、グランツーリスモにしても、いまのところシミュレータの楽しさには「シミュレートされてるとなんだかトテモ楽しい」という自家中毒的な成分も多いんじゃないかと思うので、このての多幸感ぬきで純粋なエモーションシンセシスが(あくまでゲームとして)どう見えるのか、というのは判断できませんね。
小学生のときグランツーリスモやりました、ということになるとだいぶ違うでしょうか。
4.25/1999 | ■ スクロールレジスタ |
更新情報 |
◆サイトロゴをshockwave-flashにて非常に安直なアニメにしてみましたよ。プラグインが入ってなかったりJavaScriptを蹴る設定だといままで通りですが、さほど見る価値もないから安心です。 |
▼ナムコのファミコンゲームのタイトル画面は何故だかどれもスクロールする、というのが僕の印象です。もちろん全部そうなのではないので勝手なイメージですが。
そういえば、といっても全然関係ないですが、名高いクソゲーである、機動戦士Ζガンダム ホットスクランブルのタイトルデモが今でもかなり好きです。電源投入時だけ、FBIの著作権に関する警告文かなにかがスクロールして、それがスクロールアウトしてから音楽が始まってΖのストーリーが流れる(リセットするとここから)というやつ。だからあのゲームはプレイした時間よりタイトルデモを眺めていた時間のほうが総合すると長い気がしますよ。
そういえば(やはり脈絡なし)、キャプテン翼のオープニングなども当時繰り返し見たものの一つです。電源を投入した途端に何かが始まるという形式には基本的にヨワいですな。ギミック!なんかもそうだね。
▼こういう話はいくらでもできるからよくない。