update info and daily memo ク ラ フ ト マ ン シ ッ プ Feb. / 1999 |
2.2/1999 | ■ |
▼DDRの攻略本をたちよみしてたら「足譜」なんて単語を見かけてなあるほどうまいこというなと関心したのですが、これはもしかしたらダンス/バレエ用語にすでにあった言葉なんでしょうかね。
ステップシーケンスとか呼ぶのかと思ってたけど。
ゲームのほうはまだHARDすらまともにできませんよ。ANOTHERとかはゲートチェックで追い返される感じ。
2.8/1999 | ■ 東京へ遊びに行っていろんなゲームを見てきたよ |
▼VJは3つのモニタとコンソールモニタをそれぞれ見ながらチャンネルをがちゃがちゃ切り替えていくようなゲームなんだろうと勝手に想像していたのが、ただの「ジャレコのビートマニア」のようでがっかりでありました。残念。
▼グラディウスIVも見かけました。なるほどグラディウスだ。最初の数面を見た印象ではグラディウス外伝のほうが好みだったかもしれない。あまり気のきいた感想が浮かばないですな。
▼プレイしたゲームのなかでいちばん面白いと思ったのがダートデビルズでした。ラジコン感覚! 挙動だけで笑えて楽しい。
2.9/1999 | ■ PLEASE INSERT COIN |
▼ざるの会からお越しになられたかたハジメマシテ。怪しげな理屈でゲームを思いがけない方向から考察する一人プレイ思考型ゲームサイト[ドットインパクト]です。お気に入りいただければ光栄。
▼ところで、ビートマニアIIDXの筐体では(写真を見るかぎり)ナニゲなくも左のコンパネの「ボタンとターンテーブルの配置が逆」になってるのがイイナと思いました。
2.12/1999 | ■ ローリングスタート |
▼最近できたらしいけど行ったことがなかったゲーセンを覗いてみる。うわ、DDRが4台もある! と思ったら2台はDDR2ndMIXでした。4台あるのには変わりないけど。
例の店にはメトロクロスが入荷してるし、そのくせレイクライシスはどこにもなかったり、どうも歪んでますね豊橋という街は。
▼で、初めて見た2ndMIXは、曲を選択するとゲームがはじまる(ゲートが開く)前から曲が流れるあたりがすごくいいと思いました。一連の曲ゲーはこういう「プレイヤーをあっためておく」デザインに欠けていたように思うのでこれは俄然気に入りましたよ。
言うまでもないでしょうが、ゲームモード選択画面であっても、STARTの文字が点滅しているだけのときでも「ゲームをプレイしている」のには変わりがないはずなので、そこにゲームデザインがあってしかるべきだと思うのです。
テクノドライブのBGMはすべてBPMがそろえてあって、サウンドドライバが曲を切り替えるときちゃんとバスドラのアタマを合わせるようにしてあるそうですが、音楽ゲームにもたとえばそういう進化を期待したいですな。
2.15/1999 | ■ |
▼なんだかものすごく久しぶりにゲームミュージックのCD(レイクライシス)を買って聴いてぼんやりと考えたのは、たんに「ゲームミュージック」と言うときそれが指すものが「シューティングゲームのゲームミュージック」であることが多いような気がするのはどうしてだろう、といったこと。
ゲームミュージックというジャンルを「シューティングゲームのゲームミュージック」が牽引してきた、というような事実はなかったか。その事実があるとしてそれは「ゲームミュージックの必然性」ではなく「シューティングゲームの必然性」によるものではなかったか。たとえば、シューティングゲームというのはいろんな意味でいちばんシーケンシャルにオートマティックにモノゴトが進むゲームジャンルなんだけど、そういうことと関係があるんじゃないか。
やっぱ気のせいでしょうかね。
2.19/1999 | ■ ダブルバッファ |
更新情報 |
◆ここのメモのフレーム版jamp-tableを置いてみました。コンテンツを多く見せようという魂胆が感じられますが、まあ気にしないでください。 |
▼もー。結局、サクラ大戦は誰のものなんでしょうか。
2.20/1999 | ■ コンプレクシティ |
▼これ(樋口真嗣インタビュー)なんかを読むと、映画(に限らず他業界)の人こそがゲームという「ルールを発明できるジャンル」にコンプレックスを持ってるんじゃないかって思います。
佐藤雅彦さんに関していえば、あのひとはCM業界ですでにいくつも「ルールの発明」をしてるようなひとなわけで、I.Q.は「このアイデアはゲームにするのが一番いい」という、むしろプロデュース感覚によって作られたんじゃないかという気がしますね。
▼ところでファイナルファンタジーシリーズが、あの「III」以降続く「数字が浮かぶダメージ表示のデザイン」をどこまで持っていくのか、というのに興味があります。もはや標準的な表現になってるんでしょうけど、決してああでなければならないわけではないという意味では、召喚魔法なんかと同じレベルのデザインだと言えるわけで。ドド派手な召喚魔法デモの具体的な「結果」があのダメージ表示だと考えると、個人的には痛快です。
馬鹿にしてるわけじゃありません。むしろああいうプリミティブなデザインにおいて「ゲーム」が成立してるようにも思うんですが、考えすぎでしょうか。
2.26/1999 | ■ |
▼AERAムック「童話学がわかる。」に寺田憲史氏(ファミコンのころのファイナルファンタジーシリーズシナリオ担当のかたでしたっけ)がゲームのシナリオについて書いているのですが、そこでの「ゲーム性」の使われかたがなかなか新鮮でした。
ゲームのシナリオの多くで主人公が自分から話さないことに触れて、それは「主人公が仲間たちと勝手に話をしていろんなことがわかったのではゲームにならない(ゲーム性がなくなる)」からで、つまりRPGにおいては、(ゲームの中で)能動的に情報を得て、その情報から行動を決定することが「ゲーム性」だと氏は考えているようです。
なるほど。これならよく言われる「アドベンチャーゲームにゲーム性はあるか」という問題も「当然、ある」とケリがつくなあ。
やっぱり「ゲーム性」ってよくわからないのですが、たとえば、「ゲーム性がある」と「ゲーム的である」と「ゲームである」はあえて区別してみるとおもしろいかも、と例によって思いつきで言ってみます。
2.28/1999 | ■ |
更新情報 |
◆鼻息も荒くthink-routineに「#7 それでもあえて言うとすれば『ゲーム性』とは」を追加。 |
▼一般に言われる「ゲーム性」はルールでありデザインでありシステムであり、操作感であり戦略性でありバランスであり、快感であり興奮であり感動であり、要するに他の用語で言い換えができるもので使わなくてもまったく困らないという意味で原則的には使わないことにしています。