update info and daily memo ク ラ フ ト マ ン シ ッ プ 2001 Jan. |
1.1/2001 | ■ キャスト・ダイス |
更新情報 |
◆トップページを&h07D1仕様にしました。 ◆「dpi」についてをevent handlerに収録しました。 |
▼あけましておめでとうございました。
1.3/2001 | ■ ニュー・センチュリー・コンピュータ・ゲーム |
▼初夢つうことで妄想ゲームのお話。
先日沢村せんぱいとROOMMANIA #203などの話をしていて、こういう「話にまきこまれる」ようなゲームって他にも考えられるんではないかしらん、ということで持ち上がったのが「のらねこゲーム(仮称)」という妄想ゲーム。「街に棲むのらねことその街の人々の物語」に、「のらねこの側から」参加するゲームです。
プレイヤーはある一匹ののらねことなり、その棲む街を闊歩することができます。またその街には、一人暮らしのOL、広い家に寂しく住む老夫婦、夢が捨てきれず意地でフリータ生活を続ける青年、団地住まいでペットが飼えない小学生、学校で友達がつくれない中学生、猫でも撲殺してやろうと考えている高校生などさまざまに約束どおりの住人たちが毎日の生活を送っています。プレイヤーであるのらねこと街の住人たちは、街角で、庭先で、アパートのベランダで、学校の校庭で、雨の日のゴミ箱で、出会うべくして出会うのであり、そこから「のらねこと人の物語」がはじまるわけです。
街の住人はのらねこに餌を与え、名前をつけ、その素性を詮索し、思い入れをこめた物語を与え、自分に重ねようとします。つまりプレイヤーにとっては、行く先々で別の名前を与えられ、ありもしない素性を憶測され、それぞれちがった物語を託され、そしてその人物の抱えたドラマを垣間見ることになるのです。プレイヤーが望めば、ある人物の「物語」に安住することも可能ですし、あるいはそれらの「物語」から猫らしい間合いをとり、塀の上から「猫瞰」することも可能です。そういうゲームです。
プレイスタイルがどんななのか、そしてシナリオの形式がどんななのか(住人の設定とか自分に与えられる呼び名がプレイごとに自動生成されたりすると萌えますネ)、そういうのはともかくとしてしまいますが、僕はこのアイデアを「ゲーム」だと感じます。こういうものを「プレイしたい」と考えます。みなさんはいかがでしょうか。
1.15/2001 | ■ クレイジーコップ |
▼コナミ(R)のザ・警察官 新宿24時TMが面白いです。
じつはこのゲーム、秋のAMショーを見に行ったとき出展されていたんですけど、そのときはあんまり見たりプレイしたりしないままタカをくくっていたのでした。というのはこのゲーム、タイトルの通りプレイヤーが警察官として“指定暴力団”に立ち向かうガンシューティングなんですが、その売りである新機軸の操作として、動き検知カメラ(かなんか)によって「プレイヤー自身に流れ弾を避けさせる」というフィーチャーがあるのです。「それはなんか、違うんじゃないかなあ」というのがそれを聞いただけのときの印象でした。
「飛んでくる弾を避けたい」というプレイヤーの気分と、「体を動かして避ける」というじっさいの動作とは、じつはぜんぜん関係なかろう、というのが僕の直感だったのです。つまり、たしかにプレイヤーは弾を避けなければ、避けたい! と考えているのだけど、それはプレイヤーが体を動かすみたいな緩慢な動作とはまったく別のことを考えているんじゃないかと。タイムクライシスというゲームは、そのようなプレイの欲望をペダルアクションという鋭い操作に昇華させていたところが優れていたと僕は思っています。タイムクライシスはこれによって、「まるで映画みたいな」ガンアクションを実現していたわけです。
ところが、じっさいにプレイしてみれば、ザ・警察官 新宿24時TMというゲームは、「体を動かす」操作系がちゃんと楽しいゲームになっていました。しかもタイムクライシスとはぜんぜん別のプレイ感覚を実現してるではないですか。なるほど、それはタイムクライシスのようなメリハリのあるアクションではなく、ちょうどハンドカメラで手撮りしているような「臨場感」に重きがおかれているのですね。
あと「リアルタイム昇進システム」が楽しいです。
1.27/2001 | ■ ミュージック・ノン・ストップ |
更新情報 |
◆トップページをちょっと変えました。 |
▼ちなみに元旦よりトップページを飾ってました「Happy new iteration.」というキャッチフレーズはただ"iteration"という単語が使ってみたかったといういい加減な動機によるものでありました。"iteration"というのは同じように何度でも繰り返されることの、その一回分といった意味で(僕の理解ですからあんまりあてにしないほうがいいですが)、なんというかとっても「ゲームっぽい」ことを説明しているように思えて僕は好きな単語です。われわれはしばしば同じことを繰り返すのではありますが、しかし間違いなくそのいっかいづつを「プレイ」しているのであります。
▼どうも最近退屈なのでゲーム屋にてテクニクティクスを買ってきてみました。現れる“音の波紋(サウンドウェーブ)”を踏んで(?)音をつなげていく音楽アクションパズルゲーム。基本的には忙しいリズムアクションなんだけど、サウンドウェーブをうまいこと動かしてつなげると「予約」という状態になって、自動演奏してくれるのがうれしい感じ。このへんがパズルで、それでまあやっぱり忙しいのですが。
というわけでなかなか気に入ってはいるのですけど、それとは別のごく個人的な印象として、「プレイヤーのやることがもうひとつ“音楽”になっとらんのじゃないかなあ」なんて思ったのです。具体的に言うと、方向キー(アナログスティック)で動かすプレイヤーキャラを「動かさなくていい」瞬間があるのが、ちょっと。プレイする僕の気分としては、「キャラクターを動かしつづけることが“音楽”になったらいいのに」と思いました。
たとえば僕はソニックチームのナイツのようなゲームを想います。プレイヤーがそのプレイで音楽を演奏する、というゲームがあるとしたら、ああいったものじゃないかと僕は思います。ある程度正確な操作に、それなりに適切なアドリブを加えつつ、とにかく流れを止めないプレイに音楽がシンクロするなら、それはさぞや気持ちがよいんではないかと思うのです。