update info and daily memo ク ラ フ ト マ ン シ ッ プ 2001 May |
5.6/2001 | ■ ジー・ダブリュー |
▼ゴールデンウィークは実家に帰ったのですが、これといってすることもなかったので、噂のわっふる(Zaurus版)でKanonをえんえんプレイしていました(ソレ、他にすること探したほうがいいです)。前からちょこちょこプレイしてたんですが、晴れて全エピソードをクリア。
「泣ける」と評判の本作ですけど、僕のエモーションエンジンは処理能力が低いので、残念どのエピソードも泣くには至りませんでした。つかですな、「泣ける」じゃなくて「泣いてもいいよ」、というのが僕のKanon評価であります。
▼さて実家方面ではさすが田舎というか、ゲームボーイアドバンスが普っ通ーに売ってたので購入しました。アドバンスのソフトではナポレオンがいちばんプレイしてみたいと思ってたんですけど、店には置いてませんでひとまずミスタードリラー2を同時購入。それにしてもあのアドバンスソフトのパッケージサイズには強烈な既視感を覚えてしまうのですが、わざとなんでしょうかね。電源を入れるとドリラーのタイトル画面がスクロールインしてくるんじゃないかとひそかに期待しましたが、もちろんそんなことはなかったです。
それから毎度のコースながらMCDさんちのおみせを訪問、閉店後は会食したり部屋で雑談(「ドリームキャストマガジン」はせっかく二度と来ない機会だったんだから誌名を「Beep!」に戻したらよかったんじゃないかとか)したりといった次第。
雑談中、北へ…のキャライラストレーターnocchi氏にして同人作家大槍蘆人氏が会社を興して作ってるという白詰草話(仮)の話に及んで(というか僕はそれを知らなかったのでそこでエロゲー誌の記事を読んだんですけど)、このゲームが採用するというシステムはちょっと面白いかもしれない、てな話をしました。そのシステムが狙ってる(であろう)感覚に、思い当たるところがあるような気がするのです。
そのシステムは『ストレイシーププログラム(SSP)』と呼ばれていて、これはプレイヤーがゲームの中で関わることになるキャラクターに、ゲームのストーリーに現れる選択肢を「選択させる」というシステムなのだそうです。当然プレイヤーのプレイの如何によってそのキャラクターがその場で考えることが変わり、選択が変わり、その後の展開が変わっていくということなのでしょう。まあプログラムとしては内部パラメータのステータスによって分岐が確定する(「この時点で愛情パラメータが○○以上だとハッピーエンドです」)ようなものかもしれません(エロゲ誌の記事を読むかぎりでは)。
んで僕はこのシステムをこういうふうに理解したのでした。つまり、プレイヤーは、プレイヤー自身が何かを決断するよりも、そのプレイを通じて思いを寄せるキャラクターに何かを決断「させる」ほうが、その「プレイ」の印象を強くする、かもしれない、ということです。自分がやってるときより他人に「やらせてる」時のほうがより「自分がやってる」気がする、というのはもちろん奇妙なことなんですけど、僕はゲームに関してそのような感覚に思い当たるところがあるような気がします。
すでに何度も言ってるにもかかわらず繰り返しますと、僕が今のゲームの「選択肢」というフィーチャーが楽しくないなと思うのは、結局プレイヤーはそこにある事態に対して「無責任」になることでしか選択を行えないように思えるからです。僕の考えかたでは、それは「ゲームをプレイしていない」ことになると思うのですが、どうでしょうか。「多数ある選択肢の、そのどれもが選べる」という状況ではかえってプレイヤーの意志が希薄になってしまうのであり、「選択肢は多数あるにもかかわらず、今回はこれが選ばれる(選ばざるを得ない)」という蓋然的な状況でしか、プレイヤーが「プレイヤー自身のストーリー」をプレイすることはできないのだろうと僕は思うのです。
…という以上は例によって僕の勝手な妄想ですから、実際のゲームがどういうものなのかちょっと楽しみであります。
▼そして、実家からどうぶつの森に帰ってみると、バースディカードがポストにあふれんばかりに入っており、大変満足したのでありました。
なんでもユーザーは27歳を境にゲームソフトを買わなくなるというCESAの統計が出ているのだそうで、僕も1年かけてゲームソフトを買わなくなる準備をしないといけないですね。