男が入ったビルは、薄暗いバーのようなところであった。ビルの外見よりは小奇麗な店内には、 大きなカウンターと四人掛のテーブルが二つ、それぞれには青白色にぼんやりと輝く半球が 置かれていた。真ん中には球状の水槽が上下から固定されており、その中で緑藻植物が、下から 送られてくる空気の対流に乗ってくるくると踊っていた。蛍光蛋白質の遺伝子が導入されているらしく、 薄ぼんやりと青白く光っている。男はその水槽の前を横切ると、奥の方のテーブルに腰を掛けた。 カウンターの端に待機していた店員が静かに歩いてくると男は、
「バーボン。」
と短く告げた。彼の座ったテーブルには既に先客がいた。美しく長い髪が金色に輝き、顔の右半分を 隠している。二十代後半だろうか、実際の年齢はよく分からない。しかしその顔は、この薄暗い店内でも はっきりわかるほど美しく整っていた。その女性は、気軽には声をかけられないような雰囲気を 漂わせており、並みの男では近寄ることすらできそうにない。濃青色の服に電磁シールドシステム の胸あてと割と大きめな肩あてをしている。 賞金稼ぎだろうか。彼女はその切れ長の蒼い瞳で 透明な液体が入ったグラス越しに、目の前に座った男を見つめていた。しばらくすると先ほどの 店員が現れ、男の前にグラスを置いて、すぐカウンターにひっこんだ。男は黙ってそのグラスに口をつけた。
「毎回、ちゃんと約束通りに来て下さるのね、ジェニック。」
女は目の前の男に声を掛けた。場違いな言葉遣いだが、彼女には案外似合っている。多少周りに 冷たい感じを与えてしまう感はあるが、それは仕方あるまい。ジェニックと呼ばれた男は唇の端を 少し引き上げて笑った。目の前の女性が平均より上の顔ならば、この男はまさしく平均並みの顔であった。 三十代前半だろうか、しかし意外に見た目よりは年をとっていそうで、大人びて見える女性とは対照的である。 男は少しくすんだ金髪を短く切りそろえ、黒っぽい服に軽めの鎧をつけている。しかし目の前の女性 とは違って、賞金稼ぎという感じは受けない。
「メリッサ、おまえと初めて会ってから、今年で何年だっけ?」
「もう、十七年になるかしら。私がなんとか生きていけるのも、あなたのおかげですわ。昔は いろいろと教えていただきましたものね。」
と、メリッサは答えると目の前の透明な液体を少し飲んだ。よほどジェニックと親しいのか、 普段ならば絶対にしないであろう、笑顔を浮かべいている。
「え?たいしたことはしてないよ。おまえが子供の頃は一週間に一回、それ以後は一ヶ月に一回会って、 ちょっと格闘術を教えただけだもんな。」
「ふふ、私にとってはたいしたことでしたわ。でもなぜ、こんなにいろいろ助けて下さったのかしら?」
「俺、子供ができない体質なんだ。今は遺伝子治療とかいろいろ方法もあるんだけど、なんか嫌でね。 そんな人間の目の前に、あんなかわいい子があらわれたら、面倒みてやりたくもなるよ。」
ジェニックは少しおどけたような口調で答えた。その後、少し迷ってからこう聞いた。
「なあ・・・、おまえの家族ってさあ・・・。」
お互いあまり聞きたくも語りたくもないことであろう。言い淀むジェニックに向かって彼女は 笑顔のままで答えた。
「ん?・・・お父様は見たこともないですわ。お母様が言うには、私が生まれる前に行方不明になったんですって。そのお母様もあなたと会う一年前にカウンターに殺されましたわ。」
と言うと、長い髪を揺らして笑った。彼女の美しく輝く髪とは対照的に、ジェニックの表情は少し曇った。
「・・・すまんな、こんなこと聞いて。」
「ふふふ・・・。こんなに長い付き合いなのに、こんなこと話したのって、初めてですわね。 まあ、昔の私は何もしゃべろうとはしませんでしたけど。」
二人はお互いの顔を見ながら微笑んだ。