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ああ、ユーレイカ。
No.266 by 中川大地 [tiger.yamanashi-med.ac.jp] at 2000/1/10(月) 21:15

 なんの話なのか、ようやくわかりました。なるほどそうかあ、そういう話をしていたのか!

 いやまったく、コンピュータゲームを感性情報パフォーマンスとしてしか捉えてなかった
クサレ脳味噌には、ルールの公正とかズルとかいう観念自体が、まずもって全然なかったか
らねー。
 なにしろ僕はむかしゲームマスターやってたとき、サイコロ振るのをプレイヤーへの演出
方便だとまで思っていたのだ。

 となればこういう話の流れでこそ、初めて使いでらしい使いでが出てくるのが、たとえば
カイヨワなんていう代物なんじゃないですかねえ。
 ルールとか法則の存在と適用が前提的に信じられてるなか、その実際のからくりがプレイ
ヤーが信ずるとおりのかたちではないことをとりあえず「詐術」と認識する脳と、はじめか
ら厳密な約束事秩序の観念自体をもたず、入出力情報の見立てについてだけ関心を寄せてい
る脳とが、同じくともにゲームと呼ぶ。
 そのあたりの個々の脳のちがいにとらわれず、「アゴンやアレアの皮をかむったミミクリ」
なんていう範疇の応用の仕方で、結構胸のつかえを解消できてしまうところがあるのは、枠
組みのあなどれなさを示していはしないかと思います。

 以上は「コンピュータゲームはどういう遊びなのか」という問題意識の収束例ですが、も
う一方の展開ベクトルである「ゲームにおいてコンピュータは何をしているのか」という話
題のすすめ方については、「いよいよコンピュータが仮想空間のなかで人間の動きを計算合
成できるようになったかと思いきや、実はモーションキャプチャーだった」というのもまた
“ズル”の一種であろうなあという拡散方向の思いつきをしております。

 まあ、コンピュータは「ゲーム性構築」の部分と「見立て演出」の部分との両方に使われ
るものだから、そのどちらの領域でもズルできる、っていうサブカテゴリ化でいいと思うん
ですが。まとめる気なし。


No.268 by dotimpact [recoom] at 2000/1/10(月) 23:29

中川さんいらっしゃいませ。

書いてるほうはそれなりに信じるところがあって書いてるんですけど、とてもうまく書けてるとは言いがたいものを読まされるとわかんないですよね。ともあれ、インスパイアされるところがあったならうれしいです。

まあいろいろ知らない(カイヨワの遊戯論はちゃんと知らないんでアゴンがどれでミミクリがどれだか忘れてしまいました)んで、ちゃんとしたフォローがお返しできませんが。すいません。

「ズル」の可能性を知っているプレイヤーの立場がどういうものか、というのはいちおう考えてはいるものの次の段階だろうと考えていて、とりあえずはプレイヤーとプレイヤーの知りえない「ズル」の関係を考えるとおもしろいかなと思います。あんまり他の人は考えなさそうなので。


No.269 by 中川大地 [tiger.yamanashi-med.ac.jp] at 2000/1/11(火) 12:56

 カイヨワ分類の中身、下のとことかに書いてあります。

http://www.ccn.yamanashi.ac.jp/bul97/contents/tashiro/Amuse.html

 このリンク先もそうなんですけど、えてしてゲーム論じで引っぱり出される際、
ただ唐突に図式紹介したり『ゲームの大學』みたいに必然性なくアテハメたりす
るだけで、議論を有効にすすめるための概論装置として無理なく使われてる例に
いまだお目にかかったことないんですよねえ。寡聞なもんで。
「じゃあこれはどうなんだモノ知らずめ」という例があれば誰か教えてプリーズ。

 ズルをズルだと認識すらしてなかった極楽プレイヤーとしては、舞台劇の観客
同様、ステキにあたしを騙してね、なカワイイ馬鹿女をやっていたいと思います
ので(セクハラ浸出?)、その先がありそうであればおいおい見せてくださいま
せ。


No.270 by dotimpact [recoom] at 2000/1/11(火) 16:16

中川さんフォローありがとうございます。助かります。

なるほど、「アゴン(競争)とアレア(運)の皮をかむったミミクリ(模擬)」ですね、確かに。僕はコンピュータゲームを「それが本当にアゴンでありアレアなのか、あるいはある種のミミクリであるのか、わからない」ものと考えたいと思ってるわけです。一般的なゲームでの「ズル」というのは利己的な目的だとか単に場の空気を悪くするもの(あるいはアゲハマをごまかしたとかで入水自殺せざるをえないもの)ですが、コンピュータゲームにおいてのコンピュータは、決して利己的な意味での「ズル」をしない(だろう)ので、「『ズル』の可能性を含めたゲーム」というのが想定できるんではないかと。

たとえば、「順位が下がるほど最高速度が上がる」レースゲームがいいとしたら、「負けているチームの打力が上がる」野球ゲームはありうるか。こういう例ばかりだと単にバランス取りとかハンデ戦に見倣されてしまいそうですが、コンピュータが「ズル」によってコントロールされる「ゲーム」というのはもうちょっと考えられてもいいはずですので、いろいろ考えてみたいなと思っとります。