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http://www1.plala.or.jp/noise-addict/review-f/to_heart.htm
アニメのToHeartに関する評ですけど、ちょっと興味をひくことが書いてあったので。
>ところで。某誌で本ゲームの関係者が「(アニメで)なんで
>無理矢理ストーリーに起伏を入れたり事件を起こしたりする
>のか、理解できない。アニメの女の子がキャピキャピしてる
>のも理解不能」 というような発言をしており、アニメ版の
>制作に当たって「そうならないように」指示したそうだが。
>ものの見事に「分かってない」発言だと思う。
まあアニメを「分かってない」発言といえばそうなんでしょうが、僕が思うにこの発言は一般的にいっても「かなり変わった」発言なんではないでしょうか。たとえば、ゲームならば「ストーリーに起伏を入れたり事件を起こしたり」しなくてもいい、と解釈しても、さほど容易に理解される考えかたとは思えないです。
どなたか、実際になんの雑誌に正確にはどのような発言として載っていたのかご存知なら教えてください。
No.199 by dotimpact [recoom] at 1999/11/13(土) 22:23補足。
アゲ足を取るようなつもりではなく、本気で一考要するべき発言だと思いますし、おそらく、発言そのものも「本気」なのではないかと考えています。
「理解できない」という言いかたは、たいていの場合ホントは理解できるけどそれを認めたくない、という含みで(そしてある程度その意見が支持されるものとして)言い放たれるもので、じっさい発言の後半はそのように感じます。しかし前半の「なんで無理矢理ストーリーに起伏を入れたり事件を起こしたりするのか、理解できない」というのは、「本当に理解できない」という言いかたに、僕には感じられます。それゆえ、その発言の意図がはかれない。そしてこの「それを理解できない感性」が関わったものとしてゲームの「ToHeart」とアニメの「ToHeart」があることに、なお興味が湧くのです。
もちろんこれは、この発言の強調するところが「無理矢理」という部分にあって、特にいわゆる美少女アニメの類ではむやみに許容されがちな「ベタさ」や「お約束」を嫌ったのだ、という解釈もできるかと思いますが、それではゲームの「ToHeart」がああでアニメの「ToHeart」がああである説明はつかない。その意味で僕はそのようには考えません。
僕がゲームの「ToHeart」をプレイしての感覚はthink-routine #10に書いた通りで、つまりは「終わらなくてもいい」ストーリーを想定しているんだろうと感じたのですが、それはこの発言に一貫しています(アニメ版は詳しくないですが、やはり一貫していたものと存じます)。
しかし、たとえゲームであっても、「起伏があったり事件が起きたり」があるならやはりそれなりに楽しめるはずで、それをあえて「理解できない」と言い、実際にそのようなゲームをつくっていることは、それそのものの評価はともかく、「信用できる」話ではないかと思います。
No.200 by 倶零舎 [recoom] at 1999/11/13(土) 22:24"To Heart"はゲームをやったこともアニメを観たこともほとんどないのですが、気になる話題ですのでコメントをば。
発言が本気であるならば、発言者のモラトリアム願望は相当なモノだと思われますし、またそうして創られたモノが受け入れられているということはプレイヤーや視聴者の中にも相当なモラトリアム願望があるものと感じられます。
ただそれだからこそ、そのようにして創られたアニメがゲームソフトのコマーシャルフィルムとして優れているという側面も無視できない私がいたりします。
No.201 by MCD [recoom] at 1999/11/13(土) 22:25「モラトリアム願望」ということになれば、「かなり変わった」発言で
はなくなり、結局「分かってない」という始めの引用にあるような判定
に舞い戻ると思います。
「分かってる」「分かってるけれどそのことを否定したい」「分かって
ない」このみっつのパターンを私たちは良く知っていて、そういうのを
どうあしらえばいいのかも分かってます。しかし、その両端を反対方向
に伸ばした「本当に分かってる(全知)」と「本当に分かってない(分
かるべき何かがじつはどこにも無い)」について私たちはたぶん無知で、
また無知だからこそ、しばしばそのそれぞれを、私たちの知っているみ
っつのパターンのどれかにはめ込んで、それこそ分かったつもりになっ
てしまっているのではないかと思います。
No.203 by dotimpact [recoom] at 1999/11/13(土) 22:26ToHeartのゲームやアニメが、「モラトリアム願望」によって作られ支持されていることは、とくに驚くべきことではないですよね。そうだとしてそれはToHeartだけの話ではありません。そうではなくて、僕がゲームをプレイして感じたり制作者の発言から探ろうとしたりしているのは、他ならぬToHeartがあのようである「必然性」があるとすればそれはなにか、というものです。
「なんで無理矢理ストーリーに起伏を入れたり事件を起こしたりするのか、理解できない」という発言を踏まえると、たとえばToHeartの主人公が週末の休みに(原則的に)なにもしないことなんかが理解できるような気もします。
No.204 by 倶零舎 [recoom] at 1999/11/13(土) 22:27というわけで、予備知識の圧倒的に不足している私はガラス窓の外から眺めていることにします。お粗末でした。
部外者がこういう発言をするのはぶしつけですが、"To Heart"プレイヤーの方からの書き込み、とくに原発言をご存知の方からの書き込みを期待しております。
No.205 by MCD [recoom] at 1999/11/13(土) 22:29部外者といえば、今回の話題に関して私もそうです。dotimpactさんの意
見にはまだまだ不透明なところがあると思うからです。「こいつら結託し
てやがる」というような感想から「部外者」と書かれたのだとしたら、そ
れは私の書き方がまずかったからですので、否定とそれからその謝罪をい
たします。すみません。
ToHeartに限った問題としてどんどんその思考を進めていくというのもア
リだとは思うのですが、やはりホワイトアルバムやこみっくパーティーへ
の関連、ある種の否定まで含めた継承性というものも考えなければならな
いと思いますし、またそれなしでは、たんなる偶然を無闇にちやほやする
だけのものになってしまわないとも限らないと思うのです。
つまりまとめますと、他ならぬToHeartがあのようである「必然性」があ
るとすればそれは、ホワイトアルバムやこみっくパーティーからもある程
度見通しがきくものでないといけないのではないか、ということです。
べつの言い方をしますと、ホワイトアルバムやこみっくパーティーを見た
後でも「信用できる」「(ToHeartの)必然性」が必要ではないか、とい
うことです。
No.207 by dotimpact [recoom] at 1999/11/13(土) 22:31□倶零舎さん
いや、予備知識をウンヌンすると僕もたぶん部外者になります。
というわけで、これは一般的な「部内」のひとが読んだら怒るような話かもしれません。
□MCDさん
例の発言とゲームとアニメの関係に「必然性」を見るのは、ToHeartのむやみな正当化になるということでしょうか。そのような「必然性」があるとして、それはleafの他の作品に通じたものでないと、それはむしろ「偶然」というべきだと。それは、まあそうかもしれません。
しかし僕はToHeartの正当化をするつもりはないし、ToHeartから制作者の考えかたを見透かそうというわけでもないです(このようなものがあるなら、leafの他の作品にも共通するのかもしれません)。アプローチとしては逆で、「制作者の発言(考えかた)から見えるToHeart」を知ろうとしているんですね。
ToHeartは、僕には十分変わったゲームに見えます。それだけでもうお腹いっぱいって感じのキャラクタ設定を除けば、シナリオを面白くしようという意図がどうにも感じられず、主人公とひとりのキャラクタは、同じシチュエーションで同じことをしているだけだという印象があります。シナリオが不出来だとかモラトリアム願望だとか言ったとしても、「同じシチュエーションで同じことを繰り返す」理由にはならないと思うのですがどうでしょうか。僕はToHeartに「ある意味不自然に一貫したもの」を感じます。さらにそれはアニメや制作者の発言にも一貫しているように思えます。
つまり、「偶然だとしても、どう考えたらToHeartになるのかが知りたい」わけです。
No.208 by 倶零舎 [recoom] at 1999/11/13(土) 22:32申し訳ございません。
言葉が足らなかったので補足させていただきますと、「部外者」という言葉は私が第三者に対して書き込みを催促したことに関する表現であって、予備知識に関する意味ではありません。
あと予備知識という言葉もあやしいもので、実は語るのに必要な知識全般が足りなかったりします。
"To Heart"に関しては「90年代の『究極超人あ〜る』だ」という評を見せてもらったことがあって、私が"To Heart"を受け入れないのはすでに『究極超人あ〜る』で満足してしまったからなのか? という疑問から始まっています。