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二次創作のための文章講座
http://member.nifty.ne.jp/~JIUJING/menu3.htm
二次創作、あるいは二次著作物という言い方を見かけはじめたのは最近だと思うのですけど、最初にwebの文章で見つけたときに強烈な違和感を感じて以来、ソコココで見かける回数が増えても、「その考えかた」には一向に慣れるきざしがなく困る一方です。
本来、一次創作でも二次創作でもなく、もしかしたら三次創作かも四次創作かもしれないそれをあえて「二次創作です」と断ることが、むしろそれを「ある意味において一次創作だということにしている」ような、どうにも居心地の悪い倒錯が感じられるのです。「二次創作、あるいは二次著作物」という言い方それ自体が、ある居心地の悪さから生まれてきたものだろうということは想像できるのですけど、僕はその言い方が、事情をさらに悪化させるものなのではないかと感じています。
三点リーダよりも深刻な問題ではないですか。
No.122 by 倶零舎 [recoom] at 1999/11/13(土) 21:07ども。
読んでいてなぜか「世の中における優しいウソの必要性」について考えてしまいました。
さて、その元ネタを一次著作と呼んでしまいたい心境すなわち「僕たちの好きな作品は多次著作ではない!」という主張は、実は「もしかしたら僕たちは、一次体験をふんだんに取り入れた一次著作物を受け入れる準備がないかも知れない」という不安感の裏返しにも思えます。
本当のところは、一次著作という言葉を「他所から著作憲法違反で訴えられる可能性の低いもの」という程度の意味あいで使っているだけなのかも知れませんが。
No.123 by dotimpact [recoom] at 1999/11/13(土) 21:08ども、ども。
オリジナルかどうか、なんてのはわりとどうでもいい問題だろうと思うんですよね。好きなキャラクタの登場する作品を書こうとも、あるいはその元キャラクタがすでにそのようなものであったとしても。個人的に不愉快なのは、そもそもそういうふうに回っているものに、「不必要な厳密さ」を介入させようという手つきであり、どころか「不必要な厳密さ」をその「厳密さ」において誇るような身振り(これを僕は倒錯と呼びます)なんです。
もちろん、さわらぬ神に…というようなことを言いたいのではなく。必要なのは「厳密さ」ではなかろうというようなことです。
No.124 by 矢本広 [recoom] at 1999/11/13(土) 21:09リンク先の人、自分のことを「二次創作者」って呼んでいるんですね。
カルチャーショックを浮けました。
あと、必要なのは「厳密さ」ではなくて「強かさ」であろうと思いました。
http://users.jp.tri6.net/~yam/
No.126 by 綾茂勝太郎 [recoom] at 1999/11/13(土) 21:12
リンク先はざっと読みましたが、「二次創作はオリジナルより面白くなければならない」みたいな主張を聞いて割と新鮮でした。
私は作者が楽しめればいい、それを他人に読ませるならば読者も楽しめればいい、程度に考えていましたが。
ところで、三次創作とかの概念を導入するならば、歴史小説なんていうのは歴史(書)というオリジナルからの二次創作で、その漫画化とか映画化は三次創作かなぁ、などと読んでてちょっと思いました。
巷の三国志漫画なんか何次創作なのかもはやわかりませんね。
「二次創作です」と断るというのは、「一次創作ではありません」と言っているだけじゃないでしょうか。
歴史小説や、ノンフィクションは、そこに題材があることがはっきりしている。
しかし二次(以上)創作でそれを断らないと、単なる盗作になる。ただそれだけのような。
だから三次や四次だとかは言う必要がないと思いますよ。というより、一次でないものは皆同じで、それをただ単に二次と言ってるだけでは。
> 個人的に不愉快なのは、そもそもそういうふうに回っているものに、「不必要な厳密さ」を介入させようという手つきであり、
>どころか「不必要な厳密さ」をその「厳密さ」において誇るような身振り(これを僕は倒錯と呼びます)なんです。
この辺はこの文を読むだけでは私には意味がよくわかりません。
厳密さっていうのは、わざわざ二次創作と断ってるってことでしょうか。
それは、「二次創作」という言葉が、「二次」の部分を強調するものではなくて、「創作」を強調している、ということ??
No.127 by dotimpact [recoom] at 1999/11/13(土) 21:14はっきり言っておきますと、「ほんとに二次創作なのか」「それは三次創作じゃないか」「四次創作じゃないか」と言いたいのではまったくありません。そんなことはどうでもいいとやはり思います。でも、そもそもなぜ「n次創作」という呼びかたがなければいけないことになったのか、が不思議だと思うのです。
綾茂さんは「一次創作ではありません」と言ってるだけじゃないか、と言うんですが、僕には「一次創作」という言い方が「二次創作という言い方から便宜的にそう呼ぶ」ことになったものにしか思えない。「一次があって二次がある」という順序を考えることが、すでに「二次創作」という考え方を踏まえたものでしかない。繰り返しますが、そもそもなぜ「n次創作」という呼びかたがなければいけないことになったのでしょう。
どういう必要があって「これはオリジナルではない」ことを指すのに「二次創作」と書かなければならないのか。「二次創作」という響きが「それらしい」だけに、気を付けなければいけないと思います。ようするにそういうことです。僕には、「二次創作」という言い方が、その内実にふさわしくなく硬直しているように感じられるし、その無根拠な「それらしさ」を保つためにウソがつかれる可能性があると思います。
ちなみに「二次創作物」という言い方を最初に見たときは、「これってギャグかパロディなのかなあ?」と思ってました。後にleafのサイトのfaqにそういう記述があるのを知って(あるいはここが原典なのかもしれませんが)、それなりにメジャーな言い方らしいことに仰天したものです。
No.128 by 綾茂勝太郎 [recoom] at 1999/11/13(土) 21:16>僕には「一次創作」という言い方が「二次創作という言い方から便宜的にそう呼ぶ」ことになったものにしか思えない。
当然でしょうね。二次がないのに一次と断る必然性がない。
しかも、一次という用語は、二次を語る上での比較対象としてしか意味をなしません。
で、たぶんこれは一次産業とか二次産業とかいうような言葉から輸入されたものではないかと。
材料と加工じゃないかな。
まず、オリジナルではないと断る必要があるのは、そういう立場を明らかにしないと、盗作になるから。
ですよね。
ではそれをどう呼ぶかですが、私はわかればどーでもいいかなぁ、と思ってます。
>「二次創作」という響きが「それらしい」だけに、気を付けなければいけないと思います。ようするにそういうことです。僕には、「二次創作」という言い方が、その内実にふさわしくなく硬直しているように感じられるし、その無根拠な「それらしさ」を保つためにウソがつかれる可能性があると思います。
すごく危機感をいだいてらっしゃるようですが、それはどういった危険を伴うものなのでしょうか。
具体例を教えていただけますか。
硬直していない内実とはなんなのか、それらしさとはなにか、それを保つための嘘とはどういった内容か、そしてなぜそれらしさを保つ必要があるのか。そしてそれによってどんな悪影響があるのか。私には何もわかりません。
事態の悪化とか気を付けなければならないとかおっしゃっていますが、いったい何が危険なのでしょうか。ようするにどういうことですか?
ところで、二次創作とパロディは違うと思うっす。原作そのままの人物名と設定を使っていたらパロディにはならないでしょう。
たとえば読んだことないですが、「風と共に去りぬ」の、他人が勝手に書いた続編「スカーレット」(だったかな)はパロディとは言わんでしょう。
あくまで他人が勝手に書いた続編にすぎない。
で、それはプロの作家が勝手な続編を書いたから、二次創作とは言わない。
アマチュアが書くのが二次創作と呼ばれるのでしょう。
そのこと自体は単なる区別であり、私はいまのところとくに政治的意図は感じてないので、
特に問題とは思っていないのですが、dotimpactさんの危惧を理解できれば考えが変るかもしれません。
うーん、「二次創作です」と断るんじゃなくて、「オリジナルではない」と言えばいいんでしょうか。
二次創作という言葉が受け入れられているのであれば、本質的に同じ意味のような気がしてますが。
あと、「オリジナルではない創作です」とか「なんとかというゲームをもとにした創作です」っていう言い方はどうですか。
No.129 by dotimpact [recoom] at 1999/11/13(土) 21:16そうですね、ちと話が先走りしすぎました。
「たまたまそうなっているに過ぎなかったものが、いつのまにかそうであることを忘れられる」というようなありかたを僕は嫌います。それが本来どうでもいいことであっても、むしろそうだからこそ、そのようなことに自覚的であるべきだ、と僕は思っています。
「二次創作」という言いかたにも、そういう問題を感じるので、今回はちとこだわっています。実際のところ、この言い方がどのくらい認知されているのか僕はしりませんし、この言葉でなにかがダメになるわけではないでしょうけど、僕には十分違和感を感じる言葉なので、その違和感について詳しく書いているつもりです。もちろんだれかになにかを強制するものではありません。
まず、綾茂さんの「一次/二次産業」というような言い方から輸入したんじゃないかという指摘なんですが、僕が最初「ギャグかパロディか」と思ったのはそういうことです。
(綾茂さんはこの部分、僕が「二次創作がパロディだ」と言っている
ととられたようですが、そうではなく、「二次創作という言葉」が、
たとえば「二次産業という言葉」のパロディに思えたということです)
「二次創作」といえば、たとえば「一次/二次産業」という言い方との対応関係から、それが何を言わんとしているのかわかる。その意味ではとても「わかりやすい」言い方だと思います。でも逆に言えば、そのような対応関係(たとえば「二次産業」と「二次創作」の)でしか意味を為さない、その場限りの(何度繰り返しても「その場限り」であるような)言葉だな、という印象を僕は受けます。最初に感じた違和感というのは、そのような「その場限り」のものに見える言葉が、当然の概念のように使われていた、という部分でした。
別の例で言いますと、たとえばToHeartのショートストーリーを書いた誰かが「ToHeartの世界をぼくなりの解釈で『リミックス』してみました」と言うことがあるかもしれません。
(念のため書くと、ある人の作った曲を別のある人が別の解釈で再構
成することを「リミックスする」と言ったりします)
僕の感じ方では、「二次創作」という言葉はここでいう「リミックス」と同じようにしか通用しない言葉に思えます。「その場限り」というのは、こういうことです。ところが、「二次創作」という言い方は、僕の見るかぎり、そのように使われていないと思うのですね。
さて、一方、企業としてのleafが、「二次創作(物)」という言い方をすることには、僕は別の意味で納得できます。原作をあらゆる意味で所有しているleafという企業から見れば、それらはまちがいなく、「二次」だからです。それをそのまま書くかというのはともかく(僕はあまりいい言い方ではないと思います)、leafがそう言うことに関して僕は問題を感じないのです。
ここで、おそらく僕の違和感は、「二次創作」という言い方をする人が、本来「その場限り」のレトリックとしてそのように表現できるにすぎない「二次創作」という言い方を、オリジナル創作者であるleafの立場を獲得して自分のたとえばショートストーリーが「二次創作」であると決定できる、というふうに使っているからではないか、と考えます。言いすぎでしょうか。
「二次創作」という言い方はその直観的な使いやすさとは別に、特権的な決定性があると思います。「二次創作」という言い方をする人はその「二次」という対応の分かりやすさからそう言うのでしょうけど、その実そこにある特権性にも身を委ねている、そんな気がするのです。
(誤解を招きかねない例えですが、犯罪者が自分のことを「犯人」
と呼んでいるような違和感があります。それがいけない、という
より、普通はそう言わないと思います)
とここまでで僕の違和感については言い尽くしたつもりです。あとは「二次創作」から派生するウソについて。
「二次創作」と聞くと、なんとなく「三次創作」があるような気がする。これがウソです。少なくともleafから見れば、すべては二次創作でしょう。「三次創作」を信じるためには、「二次創作」という言葉が、それを言った本人が本来持ち得ない特権性を持たないといけない。「それ(「二次創作」であること)を保つためのウソ」というのはこれのことで、最初に書いた「『二次創作です』とことわることが、むしろそれを『ある意味において一次創作だということにしている』」というのは、この意味においてです。
もちろん「三次創作」は、ギャグやパロディとしてはあり得ます。
以上、むちゃくちゃ長いうえにとてつもなく理屈っぽくなりましたが。
No.135 by 綾茂勝太郎 [recoom] at 1999/11/13(土) 21:22dotimpactさん、どうも。
この話を打っていると伊地知宗作さんという人の名前が変換でよく出てきます。
> 「たまたまそうなっているに過ぎなかったものが、いつのまにかそうであることを忘れられる」というようなありかたを僕は嫌います。それが本来どうでもいいことであっても、むしろそうだからこそ、そのようなことに自覚的であるべきだ、と僕は思っています。
世の中はたまたまそうなったことが多すぎるので、それが当り前に感じてたまたまだということを忘れること自体はどうしようもない、と私は考えています。
ただ、たまたまに意味を見出さないといけないという風潮があるので、理由はよく捏造されていると思います。私も方便としてしばしば捏造しています。(ぉぃ)
って、本件とは関係ないですな。
> (綾茂さんはこの部分、僕が「二次創作がパロディだ」と言っている
> ととられたようですが、そうではなく、「二次創作という言葉」が、
> たとえば「二次産業という言葉」のパロディに思えたということです)
ということだろうとは思いましたが、いちおう別の可能性もあるのでパロディの話は脈絡なくつけました。
> 最初に感じた違和感というのは、そのような「その場限り」のものに見える言葉が、当然の概念のように使われていた、という部分でした。
「その場限り」という意味は、「それは言い訳とか言い逃れのための方便である」という意味のようにも聞こえるのですが、どうなのでしょう。
「リミックス」ということばがその場限りという感覚も私にはよくわからないので、リミックスを例に出されてもいまいち理解できませんでした。
ところで、リミックスとか“二次創作と称されているもの”というのは、悪いことですか?
あるいは“一次創作と称されるもの”に比べると芸術としての価値が落ちるからよくないとか??
そんなことはひとこともおっしゃっていませんが、なんとなく読んでいると、“二次創作と称すること”以前に、“「二次創作だと称されているもの」を生産すること”に対してdotimpactさんが懐疑を抱いているというか、少なくともあまり快く思っていないようにも感じるのですが。
それは「犯人」のたとえのせいだけではないと思います。
> ここで、おそらく僕の違和感は、「二次創作」という言い方をする人が、本来「その場限り」のレトリックとしてそのように表現できるにすぎない「二次創作」という言い方を、オリジナル創作者であるleafの立場を獲得して自分のたとえばショートストーリーが「二次創作」であると決定できる、というふうに使っているからではないか、と考えます。言いすぎでしょうか。
これは、「leafが我々の活動のことを二次創作と呼んでくれるから我々は二次創作者としての大義名分ができる」と“二次創作者”たちが考えるということですか?
たしかにゲームを題材とした同人誌を「売買」することは、著作権的にグレーだと思うので、ゲーム会社がそうした人々の存在をある意味認めているのであれば、後ろめたい気分を抱かずに、堂々とできることは間違いないでしょう。
それが倒錯なのでしょうか。それが開き直りに見えるのかもしれませんが、彼らは後ろめたい気分を維持し続けるべきだとか?
> 「二次創作」という言葉が、それを言った本人が本来持ち得ない特権性を持たないといけない。「それ(「二次創作」であること)を保つためのウソ」というのはこれのことで、最初に書いた「『二次創作です』とことわることが、むしろそれを『ある意味において一次創作だということにしている』」というのは、この意味においてです。
「ある意味においての一次創作」というのは、「二次創作でも創作には違いないんだい」ってことですか?
それはある意味で正論だと思いますが、やっぱりそんな単純な話ではないですか。
ところで、
「この言葉でなにかがダメになるわけではないでしょうけど」というのと、
「僕はその言い方が、事情をさらに悪化させるものなのではないかと感じています」というのはまったく逆の意味のようにも感じるのですが、違う話なのでしょうか。
なんか根掘り葉掘りお尋ねして恐縮です。
No.136 by 矢本広 [recoom] at 1999/11/13(土) 21:23横槍失礼。
「二次創作者」の人達は恐らく、「オリジナルでないもの」を作り出す行為一般を「二次創作」と呼び習わすことで、同時に「オリジナルなもの」としての「一次創作」という概念をも生み出し、そこから両者の相違点とそれに基づく取り決めを作りだそうとしている。そうすることで、何の後ろ盾もなさそうである自分たちの活動が、版権者からむやみに規制される危険を脱せられる、と踏んでいるのだろう。
しかし、事はそう簡単ではないのではないか。「オリジナルでないもの」を「二次著作」と呼ぶことによって、当座の足場を作れた「二次創作者」たちは、次に、自らの取り決めから外れる「オリジナルでないもの」に対し、「法的な正当性がないかも知れない」という、たかがそれだけの理由によって、むしろ堂々と突き上げを食らわしていくことになるかも知れない。それは最悪の場合、「一次創作者」の意向と一致するかどうかという問題とは切り離された形での、あくまで「二次創作者」が「二次創作」という思想的枠組をめぐって自主的に敢行する、内ゲバ的な規制でさえあり得る。
そして、そういう事態が差し迫った時、恐らく、突き上げる側に回る「二次創作者」の主張の正当性を裏付けていく道具立てとして、この「二次創作」というコトバの持つ、いかにも厳正で権威的なイメージが、「一次創作の次に位置する二次創作」というこれまた厳正で権威的な後づけイメージをも生じさせ、それと合わさりながらよく機能してしまうのではないか。だとすれば、そこで横行する理屈は、「法的な正当性がないかも知れないからダメ」どころか、「二次創作物としての枠からはみ出しているからダメ」などといった、それが初めから自明のものであるかのようなモンになっていることだろう。
と、これまでのお話から、僕はこういう妄想を喚起しておりました。
誰も頼んでないのに自ら率先してBBSの書きこみ要綱を作りたがる奴のような、分別臭さだけを取り柄とする輩の横行を実際に観測してきた身としては、それなりの真実味が感じられる説なんですが。
しかしこれなら、「倒錯」するより「盗作」している方がマシですな。
http://users.jp.tri6.net/~yam/
No.137 by 綾茂勝太郎 [recoom] at 1999/11/13(土) 21:24矢本広さん、どうも。
具体的な話ありがとうございました。
dotimpactさんのおっしゃる「事態が悪い方向に」というのはそういうことなのかどうかはわからないのですが、
矢本さんのおっしゃることは理解できたつもりです。
「正統派を自称する二次創作者が、ある二次創作者に異端の烙印を押し、迫害する可能性がある」「そしてその際に用いられる自らの正当性の根拠が二次創作という呼称である」という意味……でいいでしょうか?
私はdotimpactさんや矢本広さんが感じられたであろう、「二次創作」という言葉の権威というものは感じていませんでした。
だから、内ゲバが起こるともいまのところまだ思えない。
それはたぶん、経験不足や感性の不足から私の認識が甘いんでしょうね。
ところで、話がずれますが、たとえばエロ同人誌のようなものは、作品そのものに対する「冒涜」であるという考え方もアリだと思うので、
その手の二次創作を、そうでない二次創作(元作品のテーマに則したもの?)者が批判することは私はそれなりにもっともだと私は思うので、
また別の問題としてそういう内ゲバはあってもいいのでは、などと考えたりもするのですが。
*便宜上、二次創作という用語を使用しています。
No.138 by dotimpact [recoom] at 1999/11/13(土) 21:24えっと、まずあんなシチ面倒な文の後にも話が続けられることを感謝します。もうちょっとお付き合いください。
矢本さんの説は、「『二次創作』という言葉が完全に(たとえば)leafの右にならう形で使われている」としたら、ありそうな話だと思います。
こういう(leafがそう呼ぶから、という)後ろ盾で「二次創作」と言う場合、まず忘れられていると思うのは、企業としてのleafのいう「二次創作」というのは、実は何かを決定する言いかたではないということです。
どういうことか。たとえば、leafがToHeartのキャラを使った別のゲームを作ったとしても、それは「二次創作」ではありません。また、leafとは別の会社がleafの許可を得てToHeartの世界を使った作品をつくったとしても(たとえばアニメ)、やはりそれはleafにとって「二次創作」ではないのです。企業としてのleafの関知しないものをleafが「二次創作」と呼んでいるにすぎない。こういうことが、忘れられる。
leafが「関知しない」と言っているにすぎないものを、「leafの宣言によってなにものかが保証されている」というように錯覚する。それどころか、「『二次創作』という一般的に自明な属性が存在する」ように思い込んでしまう。そのような奇妙な論理を想定させるのに「二次創作」という言葉は十分「もっともらしい(つまり、厳正で権威的なイメージがある)」。とてもありがちで、それゆえ(意識して使わないと)危険な考え方だと思います。
「『二次創作』の定義は何だ」とか言い出す人の出現がそう時を待たずおとずれそうであります。
No.139 by dotimpact [recoom] at 1999/11/13(土) 21:26中途半端な、それこそ「その場限り」の言葉やら例を書いてしまってますね、迷惑させてます。。でも、僕が「二次創作みたいなもの」を嫌悪するから「二次創作」を問題にするのだ、と読めたなら、それはまったく逆です、とはっきりいいます。
僕が、たとえば同人誌とか同人ゲームだとかに思うことは、本来もっとそれぞれであっていいんじゃないか、ということです。オリジナリティについての考え方は書く人描く人にそれぞれあっていいと思うし、同様にたとえば原作への気づかいというものも、その人が決めていくべきものだと考えます。そういう状態だったらいい、と僕は思います。
しかし、本来もっとそれぞれであっていいはずのものが、実はすごく「外枠」、つまり他のだれかから与えられるわかりやすいイメージ、を欲しがっているということが、たとえば「二次創作」という言いかたに感じられると、僕は思うのです。ただ、「二次創作」という言い方をしているからといって「二次創作みたいなもの」を悪者にはしたくない。結局、「二次創作みたいなもの」を制限しているふうにしか見えない「二次創作」という言い方を、それは(意識して使わないと)危険なんじゃないのと言うことしかできない、というのが僕の考えです。
といって綾茂さんの抱いた印象が解消されるかわかりませんが。別の言い方をすれば、「うっかり『二次創作』なんて言葉を使ってしまうような態度で書(描)かれた二次創作」を、僕は快く思っていません。でもそこで好きじゃないのは「うっかり『二次創作』なんて言葉をつかってしまうような態度」であって、「二次創作みたいなものを書(描)くこと」ではありません。現状をパーセンテージで言えば、たいていの「二次創作みたいなもの」を快く思わないことにもなろうかと思いますが、そこで「だからdotimpactは二次創作が嫌いだ」とするような考え方も、僕は嫌いです。
「その場限り」ということについて。「リミックス」という例は「そのように言いかえることもできる」という意味で出したものです(最初からそう書け)。だから単に「ショートストーリーを考えてみました」であるかもしれないし、「これがToHeartの真のストーリーです!」であるかもしれない。でも、どうも「二次創作」という言い方には、そういう簡単に言いかえできない感じがある。どうでしょうか。僕はその「簡単に言い換えできない感じ」について書いています。
>「leafが我々の活動のことを二次創作と呼んでくれるから我々
は二次創作者としての大義名分ができる」と“二次創作者”たち
が考える
そういうことです。ただ、これは著作権の問題ではないと思います。
いままで書いてこなかった通り、これは著作権的にグレーかクリアかというような話ではありません。そういう話であれば、leafが容認している以上、「これは二次著作である」と書いても書かなくても、著作権的にクリアです。
ただ、それでも「これは二次著作である」と書くのはなぜか。ここに僕は、leafの単なる「容認」を、まるで「権利」のように主張する感じを受けるのです。
「ダメになるわけではない」と「事情の悪化」の矛盾について。たしかに言葉が足りてません。
それが「二次創作」である、と言ったからといって、その書(描)いたものが「ダメになるわけではない」、ということです。もちろん、なにか肯定されるわけでもない。つまり何も言ってない言葉だと思うのですが、本人は「何か言っている」と思っているフシがある(思わせブリな言い方ですいません。「何を言おうとしているのか」はさんざん書いたつもりです)。これを「事情が悪化している」と僕は考えます。
No.140 by 倶零舎 [recoom] at 1999/11/13(土) 21:27うわぁ。
つまるところ、dotimpactさんの危惧とは「二次創作」という言葉が「論理的妥当性」と「正義」とをすり替える、不正義を行なう道具のひとつになりうるのではないか、ということなのでしょうか? そういう言い回しだと私にも理解できます。
と思ったのですが、実は「二次創作」という言葉を使わなくても不正義はおこなわれているのでした。
ゲームの「二次創作」小説は"SS"と呼称されることが多いようですが、これを用いた「某ゲームのアニメ化作品シナリオはweb上のSSに劣る」という発言を見かけたりします。この場合に行なわれる不正義は「アニメシナリオとweb上SSとでは書かれる目的・目標が違う」という事実を認めず、SSという土俵で比較していることです。
何だかまとまりません。ごめんなさい。